播磨龍野城・龍野古城を訪ねる(第702回例会)

●日時
令和4年4月3日 午前11時00分 雨天決行(行程変更あり)
予定通り開催いたします。

●集合場所
JR姫新線「本竜野」駅 西出口付近

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
「本竜野」駅前 → (徒歩) → 龍野城(昼食) →

龍野古城登り口 → 大竪堀 → Ⅱ郭 → Ⅰ郭 →

両見坂から紅葉谷に下山 → 龍野城 → (徒歩) →

「本竜野」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
龍野古城は明応8年(1499)頃、赤松氏一族の村秀により標高200m余り
鶏籠山頂に築かれたが、天正5年(1577)羽柴秀吉に城を明け渡し、
同13年(1585)以降、蜂須賀正勝など豊臣系の大名が在城する。
この間、時期は定かではないが山麓に居館が築かれた。
これが龍野城である。
龍野古城はその後使われなくなった。

龍野城は慶長5年(1600)池田輝政の支配となり城代が置かれるが、
その後本多、小笠原、岡部、京極と短期間で城主が交代し、
万治元年(1658)に京極氏が丸亀に移封後、
寛文12年(1672)脇坂安政が信州飯田から入封するまで天領であった。
脇坂安政は廃城となっていた龍野城を修築し、
以後明治維新まで10代200年間龍野を治めた。

龍野古城(鶏籠山城)の遺構は織豊期に改修されたと考えられる。
見どころは龍野城御殿の裏山西側にある大竪堀。
ほかⅡ郭に至るまでの各削平地には武者隠し的な土塁や窪地、
枡形虎口など、Ⅱ郭からⅠ郭の間の喰違い虎口、
Ⅰ郭周辺の石垣など見どころが多い。

龍野城は明治4年(1871)の廃藩置県で建物は
すべて競売によって取り壊されたが、昭和50年から5年間で、
城壁、多門櫓、埋門、本丸御殿などが絵図面を参考に木造・土壁で再建。
なお、南西隅の二重櫓は実在しない模擬櫓。

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