伊賀丸山城・上野城を訪ねて(第691回例会)
新型コロナウィルス感染拡大のため中止します。
●日時
令和3年5月9日 午前10時50分 雨天決行(行程変更あり)
新型コロナウイルスの影響で中止・変更の場合は
ホームページ等で告知いたします。
●集合場所
伊賀鉄道「丸山」駅前
弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴でお願いします。
●行程
「丸山」駅前 → 丸山城跡南登山口 → 主郭・城跡碑(昼食) →
虎口跡・横堀 → 西登山口 → 「丸山」駅 → (電車) →
「上野市」駅 → 元作事屋(伊予之丸・二の丸・蛇谷堀眺望) →
筒井氏本丸・城代役所 → 天守 → 高石垣 →
藩校崇広館跡 → 「上野市」駅(解散)
●参加費
会員・家族会員 800円
当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)
別途伊賀鉄道乗車賃が必要です。
●見どころ
織田信長の次男で伊勢国司北畠家の養子となった北畠信雄は、
伊勢の実権を握ると伊賀平定をめざして、
伊賀盆地に丸山城の築城を始めた。
これを見た伊賀の土豪たちは築城途中の丸山城を攻撃、
不意を突かれた城兵や人夫は伊勢に逃げ帰った。
伊賀土豪の反撃に信雄は大軍を率いて攻めるが敗北、
信長激怒の末、天正9年(1581)、「天正伊賀の乱」となる。
のち、滝川雄利が伊賀支配の城として修復。
未完成ながら伊賀の城とは違う県内最大の中世城館である。
近世城郭として天正13年(1585)、大和郡山から移封された筒井定次が、
旧伊賀守護仁木氏の城館跡の東、平楽寺跡に新しく大坂城守護の城として上野城を築城した。
関ヶ原の戦い後も秀頼に通じる定次に失政を理由に領地を没収、
家康は信任の厚い藤堂高虎を伊勢・伊賀に移封した。
高虎が今度は正反対に大阪城包囲の城として上野城を大改修した。
この時に高石垣が築かれ、伊賀国の城として城代を置いて存続させた。
城の東の蛇谷堀、背後には急勾配の自然の要害は
城が築かれる立地を納得させることができる。
●Facebook
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