丹波八木城を訪ねて(第672回例会)
●日時
令和元年10月6日 午前10時15分 雨天決行(行程変更あり)
●集合場所
山陰本線「八木」駅 改札口前
弁当(出発前に用意してください)・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。
●行程
JR「八木」駅前 → 内藤ジョアン碑 → 春日神社 → 登山口・屋敷跡 →
対面所跡 → 本丸跡 → 内藤土佐曲輪跡 → 本丸跡(昼食) → 馬屋跡 →
堀切 → 内藤和泉曲輪跡 → 北ノ郭跡(内藤五郎・並河重郎) →
本丸跡 → 下山 → 東雲寺 → JR「八木」駅(解散)
●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)
●見どころ
丹波三大山城として八上城、黒井城とともにその一つの八木城は、
キリシタン大名内藤如安(ジョアン)の城としても有名で、
城山(比高220m)一帯に曲輪が広がる大城郭です。
築城は定かではないが、室町時代に守護代となった内藤氏によって築かれ、
天文22年(1553)に八上城主波多野氏によって攻められ落城している。
時の城主内藤国貞は討死し、その後松永久秀の弟長頼が国貞の娘を娶って
内藤宗勝として居城しています。
その子が内藤ジョアンです。
黒井城主赤井直正の侵攻で宗勝は敗死するもジョアンが城主として復帰し、
天正7年(1579)信長に追放された足利義昭に味方し、
明智光秀によって攻め落とされました。
ジョアンは小西行長の客将として文禄・慶長の役で活躍しますが、
江戸幕府のキリシタン禁教令で、高山右近とともに
マニラに追放され、73歳で生涯を閉じました。
山頂に本丸を置き、全山の尾根に重臣たちの曲輪が点在する大規模城郭で、
すべてを見ることはできませんが、本丸周辺の整備された曲輪を
じっくりと探訪したいと思います。
堀切・土塁・石積なども残されています。
一人での探訪は難しいお城です。
丹波の大城郭を探索するにはいい機会です。
奮ってご参加ください。
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