山城静原城を訪ねる(第733回例会)

●日時
令和6年10月6日 午前9時15分 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
叡山電鉄出町柳駅 改札口前
鞍馬駅行9時30分発に乗車

弁当・飲物・敷物・帽子・ハイキング靴・ステッキ・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
叡山電鉄鞍馬駅行9時30分発 → 貴船口駅9時58分着 →

京都バス貴船口バス停10時14分発 → 静原バス停10時24分着 →

静原神社(受付) → 北曲輪群主郭(昼食) → 北曲輪群探訪 →

大堀切 → 南曲輪群主郭他各曲輪探訪 → 下山 →

静原神社(15時頃着)

※静原バス停では15時54分までバスがないため、1時間程度バスを待つ予定。

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
静原城は静原集落の北背後の城谷山(標高474m)頂上付近の北曲輪群と、
東南側に延びる尾根の下方先端部の南曲輪群からなる。
西方の鞍馬街道と東方の敦賀街道を東西で結ぶ軍事的要所に位置していた。
城主は、左京区岩倉の小倉山城の山本氏が文明年間(1469〜86)
または明応年間(1492〜1501)に支城として築いたともいわれる。
文献的には、『兼右卿記』に弘治3年(1557)三好長慶が山城五十余郷に
夫役を課して築城し、山本氏が守備を担っていたと記され、
『信長公記』によると天正元年(1573)10月8日、明智光秀軍の攻撃で落城している。

北曲輪群の主郭周辺には階段や縁石などの石材が残る。
周囲に曲輪を巡らせ、三方に延びる尾根上にも幾段かの曲輪があり、
北西に続く尾根の堀切には土塁を設ける厳重な防御構造。
南曲輪群は尾根先端部斜面を切り盛りし大小の多数の曲輪や竪堀・土塁を設け、
法面や階段部には石垣が残る。北曲輪群からの尾根には大堀切が設けられている。
静原城跡は極めて良好に遺構が残り、京都の周辺では類例の少ない
石材を使った大規模な戦国期の山城で、落城後に明智光秀が石垣を造らせた
可能性もあるが、城郭の構造や変遷を解明するうえからも重要な遺構。

例会