但馬有子山城・出石城を訪ねる(第729回例会)

●日時
令和6年7月7日 午前8時(時間厳守) 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
JR環状線「森ノ宮」駅前 森之宮神社前

弁当(現地までの高速SA等で購入可能)・飲物・敷物・帽子・ハイキング靴・ステッキ・タオル・雨具持参でお願いします。
バス車内を含めマスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
森之宮神社前8時出発 → 中国道・北近畿豊岡道 → 出石(市役所支所前) →

林道/徒歩 → 有子山山頂(千畳敷・大堀切・本丸) →

東尾根ルートで下山 → 出石城(稲荷曲輪・本丸・二の丸) →

三の丸辰鼓櫓 → 北近畿豊岡道・中国道 →

森ノ宮駅前(18時30分頃を予定)

※有子山城登城が困難な方は出石城と城下町を探訪していただき、
 お昼に出石そばをいただくコースでの参加も可能です。
 なお雨天時は全員こちらのコースになります。

※帰路は高速道路の渋滞が予想されるため、
 森ノ宮駅前到着が予定より遅くなる場合があります。

●参加費
参加人数により変わります。
(バス代・高速料金・資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●参加申込
会員の方は城だよりをご参照ください。
会員外の方はお問い合わせください。

●見どころ
有子山城は、有子山山頂に築かれ眼下に此隅山城や豊岡城まで一望することがでる。
本丸と三段目の曲輪には見事な石垣が積まれていて、本丸背後の大堀切も見応えがある。

有子山城は、天正2年(1574)に但馬守護山名祐豊によって築かれた。
室町時代の但馬守護山名氏の居城は此隅山城であったが、
永禄12年(1569)に羽柴秀吉によって落城した。
その後、但馬に復帰した山名祐豊は有子山に築城して再起を図る。
天正8年(1580)に竹田城を拠点とする羽柴秀長に攻められ落城して但馬守護山名氏は滅んだ。
慶長9年(1604)に小出吉英が有子山城主となったが、
領国経営に不便な山城を廃し山麓の居館部を大修築して近世城郭出石城を築いた。
山麓の新城本丸には、2基の隅櫓が復元されている。
三の丸大手門脇の櫓台には辰鼓櫓が建ち出石のシンボルとなっている。
また、近くには仙石騒動の立役者の仙石左京の長屋門、武家屋敷が残っている。
出石名物の皿そばは、信州から仙石氏が国替えで出石に移封して来た時に持ち込んだもの。

例会